我が国今日の詩壇を見ても解るだろう。日本に於ける最近詩壇は、後に他の章で詳説する如き事情によって、一も定律詩が存在せず、すべて皆自由詩のみであるけれども、そこにはまた比較上での形式主義と自由主義とが対立し、同じ自由詩の中で別れている。
 されば上述の質問は、結局して形式主義と自由主義との、美の二大|範疇《はんちゅう》を決定すべき、根本の問題に触れねばならない。そしてこの問題を釈《と》かない中は、吾人《ごじん》は未だ詩について、真に何事の知識も持たないのである。なぜなら詩の表現は、実にこの矛盾した反対の精神が、機微の黙約するところにかかっているから。そもそも形式主義の精神するところはどこにあるか。自由主義の根拠するところはどこにあるか。以下これについて考察を進めて行こう。

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* 芸術の形式は内容の反映である故に、本来言えば「形式主義」とか「内容主義」とかの観念は、芸術上に於てノンセンスである。然るにこうした言語が存在するのは、この場合で考えられている「形式」が一般に於ける「表現そのもの」を指すのでなく、何等かの数理的法則によって規定されているところの、特殊なクラシ
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