いう観念から離別をして、表現の原則する公理につき、基本の考察を進めて行こう。
さてすべての芸術は、二つの原則によって分属されてる。即ち主観的態度の芸術と、客観的態度の芸術である。実にあらゆる一切の表現は、この二つの所属の中、何《いず》れかの者に範疇《はんちゅう》している。もちろん吾人の知ろうとする詩も、この二つの所属の中、どっちかの者でなければならない。故《ゆえ》にこの点での認識を判然さすべく、究極まで徹底的にやって行こう。そもそも芸術上に於ける主観的態度とは何だろうか。客観的態度とは何だろうか。此処《ここ》で始めから分明している一つのことは、主観が「自我」を意味しており、客観が「非我」を意味していることである。
そこで一般の常識は、ごく単純に考えて解釈している。即ち表現の対象を自我に取るかまたは自我以外の外物に取るかによって、或《あるい》は主観的描写と呼ばれ、或は客観的描写と言われる。しかしこの解釈が浅薄であり、真の説明になっていないことは明白である。もしそうであるならば、彼自身をモデルとする画家の所謂《いわゆる》自画像は、常に主観的芸術の典型と見ねばならない。しかもそんな荒唐無
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