広義にみな「詩」と呼ぶことができるだろう。なぜなら前に説いたように、何等か本質に詩的精神のない文学というものは、事実上には殆ど有り得ず、そしてこの内容がある以上には、必ずその映像した形式――詩的表現そのもの――がある筈《はず》だから。しかしながら吾人は、比較の関係に於てのみ、言語の使用を許されている。以下言う意味の「詩」という言語は、他のより[#「より」に傍点]詩でない表現に対するところの、比較の純粋なるものを指すのである。
さて詩の有り得べき、実の形式はどうだろうか。換言すれば、詩が真に詩であるためには、どんな言語の表現を持つべきだろうか。言うまでもなく詩の形式は、詩的精神それ自体の投影したものでなければならぬ。然るに詩的精神とは、それ自ら主観的精神を指すのであるから、他の文学との比較に於て、主観の最も純粋に、かつ高調されたものの投影が、それ自ら必然に「詩の形式」を取るであろう。しかしながら吾人は、もっと具体的な思考によって、形式の説明をせねばならない。
第一に明白なのは、詩が文学であり、言語の文字的表現であるということである。故に音楽や舞蹈の類は、精神に於ていかに詩的であっても
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