。しかしながら質問の言葉を換えて、もし何れが詩人的な人物かと聞くならば、おそらく何人も、多少の困惑と躊躇なしに、答えることができないだろう。実際あの浪漫的な空想旅行家マルコ・ポーロやコロンブスが、職業的文士たる小説家等に比して、人物的に詩人でないということはだれも言えない。否その点で言うならば、むしろ却《かえ》って彼等の方が、気質的の詩人であるか解らない。著述として見ても、宗教の経典や、プラトンの哲学や、老子の道徳経や、マルコ・ポーロの旅行記やの方が、写実主義的な美術や小説の類に比して、より多く詩的であり、詩という言語の本質感に接近している。
かく考えれば、詩と芸術、詩人と芸術家とは、必ずしも同一異名の言語でなくして、どこかに或る質の違った、精神を別にするものがあるように思われる。すくなくとも「詩」の定義は、「芸術」の定義と同じでない。もしそうならば、宗教の経典や、或る種の哲学書のような、純粋の意味で芸術品と言えないものが、より純粋であるところの、真の芸術品たる美術や小説の類に比して、却って詩的であると言うことは不思議であり、認識上の混乱した矛盾になる。故に詩と芸術とはたしかに別々の
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