の註を参照せよ)
こうした自然派の文学が、本質上に於て主観主義に属することは言うまでもない。それは情熱の高い、ドグマを主張する、詩的精神に充たされた文学であった。全然彼等の作物は、根本的にその主張と矛盾していた。否、彼等自身の文学論が始めから既に認識上で矛盾していた。元来芸術上の客観主義は、本質に於て観照本位の文学である故に、レアリズムの立場は必然に「芸術のための芸術」であるべき筈《はず》だ。(「生活のための芸術・芸術のための芸術」参照。)然るに自然主義は、一方で科学的没主観のレアリズムを主張しながら、しかも一方に於て「生活のための芸術」を主張していた。こうした自覚上の矛盾が、上述の如き結果になって現われたのが、即ち所謂《いわゆる》自然派の文学である。(この自然派の矛盾が、日本に於ていかに訂正されたかを後に述べる。)
要するに自然派の文学は、「主観を否定する主観主義の文学」であり、「道徳に反対する倫理主義の文学」であり、そして実に「逆説されたる詩的精神の文学」であった。もし「科学の如く」という意味が、非人間的没情熱や、冷静無私の没主観を意味するならば、自然派文学は正にその正反対のも
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