より[#「より」に傍点]人間的な生活感に触れるところの、或る別の種類の美である。そこで「芸術のための芸術」が求めるものは、主としてこの前の方の美に属する。故に彼等は、純美としての明徹した智慧《ちえ》を悦《よろこ》び、描写と観照の行き届いた、表現の芸術的に洗煉された、そしてどこか冷たい非人間的の感じがする、或るクリーアに澄んだ美を求める。これに反して一方の人々は、そうした非人間的の美を悦ばない。彼等の芸術に求めるものは、もっと人間性の情線に触れ、宗教感や倫理感やを高調し、生活感情に深くひびいてくるところの、より意欲的で温感のある美なのである。
すべての所謂「生活のための芸術」は、この後者に属する美を求める。故に彼等はこの点から、芸術至上主義の審美学に反対して、より[#「より」に傍点]ダイナミックの芸術論を主張する。今日我が文壇で言われるプロレタリヤ文学の如きも、この後者に属する一派であって、彼等が要求している芸術は、実にこの種の美なのである。されば彼等は、表面上に「宣伝としての芸術」を説いていながら、内実にはやはりその作品が、芸術としての批判で評価されることを欲しており、態度が甚《はなは》だしく曖昧《あいまい》で不徹底を極《きわ》めている。けだしこの一派の迷妄《めいもう》は、その芸術上に於て正しく求めようとする美の意識と、政治運動としてのイデオロギイとを、無差別に錯覚している無智に存する。
ところでこの前の方の美、即ち「芸術のための芸術」が求めるものは、叡智《えいち》の澄んだ「観照的」の純美であって、正しく美術が範疇《はんちゅう》している冷感の美に属する。反対に「生活のための芸術」が求めるものは、より[#「より」に傍点]燃焼的で温熱感に富んでるところの、音楽の範疇美に所属している。然るに「生活のための芸術」は、始めから主観主義の立場に立って人生を考えるものである故に、彼等の求めるところが、美術の純美になくして音楽の陶酔にあることは、全く予定されたる当然の帰結である。そしてこのことは、同様に他の一方の者についても考えられる。されば「生活のための芸術」と言い「芸術のための芸術」と言うのも、所詮《しょせん》は主観派と客観派との、美に対する趣味の相違にすぎないので、本質に於て考えれば、意外に全く同じ芸術主義者の一族であることが解るであろう。
3
上節述べたところによって、吾人《ごじん》は「生活のための芸術」と「芸術のための芸術」とを明解した。芸術上に於て言われるこの対語は、以上述べたことによってその本質を尽している。決してこれより他には、どんな別の解釈も有り得ないのだ。然るに日本の文壇では、不思議に昔から伝統して、あらゆる言語が履《は》きかえたでたらめ[#「でたらめ」に傍点]の意味で通っている。例えば芸術至上主義という語の如きも、日本では全く正体の見ちがった滑稽《こっけい》の意味に解されてるが、同様にこの「生活のための芸術」という語の如きも、殆《ほとん》ど子供らしく馬鹿馬鹿しい解釈で、昔から文壇に俗解されてる。この章のついでに於て、簡単に稚愚《ちぐ》の俗見を啓蒙《けいもう》しておこう。
日本の過去の文壇では、この「生活のための芸術」という命題を、単に「生活を描く芸術」として解釈した。これがため所謂《いわゆる》生活派と称する一派の文学が、僭越《せんえつ》にも自ら「生活のための芸術」と名乗ったりした。この所謂生活派の何物たるかは後に言うが、もし単に「生活を描く」ことが、生活のための芸術であるとすれば、東西古今、あらゆる一切の文芸は、悉《ことごと》く皆「生活のための芸術」に属するだろう。なぜならば生活、即ち Human−life を書かない芸術というものは、一として実に有り得ないからだ。即ち或る者は思索生活を、或る者は求道生活を、或る者は性的生活を、或る者は孤独生活を、或る者は社会生活を書いている。
しかし過去の日本文壇では、この「*生活」という語が狭義に解され、主として衣食のための実生活、もしくは起臥茶飯《きがさはん》の日常生活を意味していた。それで所謂「生活を描く」という意味は、米塩のための所帯暮しや、日常茶飯の身辺記事やを題材とするという意味であって、これが即ち所謂「生活派」の文芸だった。だが「生活のための芸術」ということは、本質に於てそうした文芸とちがっている。もしその種の文芸が、実に「生活のため」と言われるのだったら、この場合の「ため」は何を意味するのか。それが for の意味、即ち生活に向って、生活の目標のためでないことは明らかだ。なぜなら茶を飲んだり、無駄話をしたりする日常生活や、或《あるい》は単に米塩のために働らいてる生活、即ち単に「生きる」ための実生活やに、何のイデヤも目標もないことは、初めから
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