知らなかった。ただどこかに、或る時、何等か、燃えあがるような生活の意義をたずね、蛾《が》群の燈火に飛び込むように、全主観の一切を投げ出そうとする、不断の苛《いらだ》たしき心のあこがれ、実在のイデヤを追う熱情だった。されば彼の生涯は、芸術によっても満足されず、社会運動によっても満足されず、絶えず人生の旅情を追った思慕の生活、「何処にかある如し」「遂に何処にか我が仕事ある如し」の傷心深き生活だった。
だが詩人にして、いずこか傷心深くないものがあるだろうか。支那《しな》の詩人は悩ましげにも、「春宵《しゅんしょう》一刻価千金」と歎息《たんそく》している。そは快楽への非力な冒険、追えども追えども捉《とら》えがたい生の意義への、あらゆる人間の心に通ずる歎息である。所詮《しょせん》するに詩人のイデヤは、他のすべての芸術家のそれに優《まさ》って、情熱深く燃えてるところの、文字通りの「夢」の夢みるものであろう。
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浪漫主義と理想主義との、二つの類似した言語に於ける別が、イデヤに於ける具象と抽象との、はっきり[#「はっきり」に傍点]した差別を示している。即ち理想主義と言う言葉は、或る概念されたる、一の名目ある観念への理想を意味し、浪漫主義という言葉は、或る漠然とした、名目なきイデヤへのあこがれ[#「あこがれ」に傍点]を意味している。故に芸術家の主観にあっては、理想主義と言うものはなく、常に浪漫主義が有るのみである。
ゲーテはそのエッケルマンとの対話に於て、次のようなことを語ってる。
「観念《イデヤ》だって? 私はそんなものは知らない。」
「独逸《ドイツ》人は私のところへ来て、ファウストの中にどういう観念を具体化しようとしたかと尋ねる。まるで自分がそれを知っていて言えるかのようだ。」
「私が自覚して、一貫した観念を表現しようとした唯一の作は親和力だろう。そのためあの小説は理解し易《やす》くはなったが、そのために善くなったとは言えない。むしろ文学的作品は、不可測であればあるほど、悟性で理解しがたければしがたいほど、善いものだと思っている。」
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第五章 生活のための芸術・芸術のための芸術
1
芸術家の範疇《はんちゅう》には二つある。主観的な芸術家と、客観的な芸術家である。そして前者が常に観念《イデヤ》を追い、人生に対して「意欲する」態度をとるに反し、後者が常に静観を持し、存在に対して「観照する」態度をとるのは、前に既に述べた通りだ。
ところでこの前のもの、即ち主観的な芸術家等は、人生に対して欲情し、より善き生活を夢想するところから、常に「ある所の世界」に不満し、「あるべき所の世界」を憧憬《どうけい》している。そしてこの「あるべき所の世界」こそ、彼等の芸術に現われた VISION であり、主観に掲げられた観念《イデヤ》である。さればこの種の芸術家等は、何よりも観念《イデヤ》に於て生活し、観念《イデヤ》に於て実現することを望んでいる。彼等が真に願うところは、主観のかくも熱望する夢の中に、彼自身が実に生活し、実に現実することである。即ちイデヤがその生活の目標であり、規範であり、願望される一切の理想であるのだ。そして、芸術(表現)は、かかるイデヤに対するあこがれ[#「あこがれ」に傍点]であり、勇躍への意志であり、もしくは嘆息《たんそく》であり、祈祷《きとう》であり、或《あるい》は絶望の果敢《はか》なき慰め――悲しき玩具《がんぐ》――であるにすぎない。故《ゆえ》に表現は彼等にとって、真の第一義的な仕事でなく、イデヤの真生活に至る行路の、「生活のための芸術」である。もし彼等にして希望を達し、その祈祷が聴《き》かれ、熱情するイデヤの夢を現実し得たらば、もはや表現は必要がなく、直ちに芸術が捨てられてしまうであろう。(だが真の芸術家の有する夢想は、イデヤの深奥な実在に触れてるもので、永遠に実現される可能がない故、結局して彼等は終生の芸術家である。)
然るに客観的の芸術家は、一方でこれと別な態度で、表現の意義を考えている。彼等は主観によって世界を見ずして、対象について観察している。彼等の態度は、世界を自分の方に引きつけるのでなく、ある所の現実[#「ある所の現実」に傍点]からして、意義と価値とを見ようとする。故に生活の目的は、彼等にとって価値の認識、即ち真や美の観照である。然るに芸術にあっては、観照がそれ自ら表現である故に、芸術と生活とは、彼等にとって全く同一義のものになってくる。即ち生活することが芸術であり、芸術することが生活なのだ。芸術は生活以外にあるのでなく、それ自体の中に目的を有している。何とならば生活の目標が、彼等にとっては、表現(観照)であり、芸術と生活とが、同じ言
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