う一度根本的な駁撃《ばくげき》を加えておこう。芸術がもし、実にこの仕方で行くならば、芸術家は主観を有する人間でなく、無機物の写真器械と同じことだ。第一かくの如くば、表現は何を語り、何を意味しようとするのか解らない。科学といえども、単に「有るがままの世界」を「有るがままに見ている」のでなく、事実や現象の背後に於て、物質の法則する普遍の原理を見ようとするので、此処《ここ》に即ち科学の科学たる「意味」があるのだ。芸術の本質も同様であり、この現象する人生の背後に於て、何等かの深遠なる意味を掴え、それを表現することに意義があるのだ。自然主義の説く如くば、芸術はノンセンスのノンセンスにすぎないだろう。
 それ故《ゆえ》に芸術の主眼点は、単に個々の事実や現象やを、無意味に書き並べることにあるのでなく、むしろこれ等の背後にある、真の「意味そのもの」を直覚し、直ちにこれを表現することに無ければならぬ。ではこの種の表現をするために、どんな認識の手段を取ったら好いだろうか。それには第一、自然主義的な観察を捨ててしまい、全くそれと反対なる、別の認識によらなければ駄目である。換言すれば、対象に於ける一々の部分を忠実に写生しないで、物をそれの全体から、本質に於て直覚してしまうのである。
 この全体と部分に於ける、認識の様式観を説明するため、次にベルグソンの比喩《ひゆ》を借りて来よう。実にベルグソンの哲学は、この点に於て絶対観を高調している。曰《いわ》く、ノートルダムの寺院を写す画工は、その建築の部分について、個々の一つ一つの印象をスケッチし、後にこれを綜合《そうごう》して一つにしても、決して寺院そのものの真相を、全景的に描出することはできないだろう。真に寺院の実景を描こうと思えば、個々の一々の部分を見ずして、建築全体について直観せねばならない。また吾人《ごじん》は、一篇の詩をずたずた[#「ずたずた」に傍点]に切り離し、個々の部分的な章句を集めて、そこから全体の意味を綜合しようと考えても、始めにその詩を読んでいない限りには、到底認識ができないのである。故に部分をいかに無数に集めても、それの綜合から全体は知覚されない。全体としての意味を知る方法は、ただ直観するのみであると。(『形而上学への序説』引用)
 このベルグソンの認識論が、直ちに芸術で言われるのである。自然主義の写実論や、その他の一般小説家がしている如く、人生の現象や事件に於ける、部分的な描写を無数に集め、それの綜合から一篇の小説的意味を表出しようと考えても、決してそれは完全に成功しない。すくなくともこうした手段は、次に説く方法に比べれば、芸術として極《きわ》めて幼稚な――したがって効果の弱い――認識様式にすぎないのである。より徹底した、真の芸術的なる認識手段は、事物を部分について観察せずして、全体から一度に、気分的な意味として直観してしまうのである。言い換えれば、物の写実的なる形体について見ないで、かかる感覚的形体相の上位にある、全体としての意味の直感、即ち形相以上、形以上のメタフィジックに突入するのだ。
 この形而上学的認識への突入を、吾人は普通に「象徴」と称している。されば象徴こそは、実にあらゆる芸術の認識的極致であって、レアリズムもロマンチシズムも一切の表現の登り得る山頂は此処である。西洋の写実主義的なる芸術家等が、漸《ようや》くこの秘密に触れ、表現の山頂的な意味を知り始めたのは、実に尚最近のことに属している。然るに独《ひと》り不思議なことは、日本に於て早く昔から、象徴が発達していたということである。実に日本人は、西洋の詩人が近代に至って始めて到達した真の主観的|抒情詩《じょじょうし》を、開国三千年の昔に於て発達させ、西洋人が最後に登り得た象徴の絶対境へ、逆に昔から平気で坐り込んでいる民族である。(丁度西洋と日本では、山と谷があべこべ[#「あべこべ」に傍点]に逆転している。)
 此処で象徴の本意を明らかにするため、その代表的な日本の芸術について、大略の説明をあたえてみよう。例えば能がそうである。日本の能は、西洋の写実的なドラマや活動写真の類とは、根本から表現の精神がちがっている。西洋の演劇は舞台に於て、背景にも、人物にも、挙動にも、事実をそのまま写実的に映している。甚《はなは》だしきは、舞台に実物の馬を走らせたりする。然るに日本の能にあっては、かかる形体上の写実を見ないで、意味が全体として感じらるべく、第一義感的なものを強調する。例えば能にあっては、歩行者が写実的な歩調をしないで、歩行それ自身の印象と気分をあたえるべき、或る芸術的な「歩く人」を造形している。また能に於ける「悲しむ人」は、形体の上で涙や悲歎《ひたん》を見せるのでなく、意味としての気分の上で、悲哀の心境を現わすのである。これをかの
前へ 次へ
全84ページ中50ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング