見されて、自ら原稿を焼き棄ててしまう。実に過去に於て、こうして焼き棄てた原稿が、凡《およ》そ二千枚にもなってるだろう。僕はそれを考えると、今でもげっそり[#「げっそり」に傍点]として瘠《や》せてしまう。
 こうした幾度か反復された、幾多の無益の労作と、長い長い考察の後に於て、結局僕は一つの解決に到達した。もちろんそれとても、僕の懐疑の全体を尽したものでなく、かつ後になってみれば、考えの至らなかった誤謬や欠陥のあるものにちがいないが、とにかく或る程度まで、僕自身を満足させる解答に達したので、三年ほど前から、稿を集めようと、腹案に取りかかった。ところがいよいよ執筆に取りかかると、例によってまた別の新しい懐疑に取りつかれ、殆んど出版の自信を失ってしまった。結局僕の思索生活は、次から次へと新しい懐疑の続出であり、永久にいつまでたっても、最後の結論に到達することのできないもの、空しき無限軌道の努力にすぎないように思われる。
 しかしこうした懐疑的思索の中でも、自由詩に関する詩形上の問題だけは、比較的事が簡単であるだけに、可成動きのない確信にまで到達していた。それで僕は、ずっと前から計画していた『詩の原理』の著述を断念し、せめてその一部としての、自由詩に関する論文だけを、体系的に著述しようと考えた。そこで鎌倉に居た間、約一カ年の時日を、もっぱらこの思索と著述とに没頭した。(鎌倉に於ける一カ年は、文字通りの哲人生活であって、朝から晩まで、僕は抽象上の思案にばかり耽《ふけ》っていた。人間的なるどんな生活も、僕は全く味わわなかった。)そして遂に、殆ど脱稿に近く一冊の書物を書きまとめた。
 この著作に題して、僕は『自由詩の原理』という名をあたえた。それは三度稿を改め、始めから三度書き直した。そして脱稿と共に、アルスから出版する約束になっていた。ところが脱稿の間際《まぎわ》になって、僕はすっかり、力が弱り堅い思索に耐えないほど、気力のない弱々しい人間になってしまった。ひどい神経衰弱から、僕は絶望的な自暴自棄に陥ったので、折角|正《まさ》に出版を待ってる著作を、自分から怠惰に投げ出してしまった。しかしそれでも、近く出そうという下心だけは残っていたので、「近代風景」その他の雑誌で、しばしばこの『自由詩の原理』を近刊すべく、読者に約束したりした。
 然るに東京に移ってから、元気がまた漸く回復し
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