れながら、一方に彼はまた、眼のあたり死に面接する絶えまなき恐怖に襲はれて居た。彼はどんなに死を恐れて居たか解らない。「とても取り返すことの出来ない生」を取り返さうとして、墓場の下から身を起さうとして無益に焦心する、悲しいたましひのすすりなき[#「すすりなき」に傍点]のやうなものが、彼の不思議の芸術の一面であつた。そこには深い深い絶望の嗟嘆と、人間の心のどん底からにじみ出た恐ろしい深酷なセンチメンタリズムとがある。
 併し此等のことは、私がここに拙悪な文章で紹介するまでもないことである。見る人が、彼の芸術を見さへすれば、何もかも全感的に解ることである。すべて芸術をみるに、その形状や事実の概念を離れて、直接その内部生命であるリズムにまで触感することの出来る人にとつては、一切の解説や紹介は不要なものにすぎないから。
 要するに、田中恭吉氏の芸術は「異常な性慾のなやみ」と「死に面接する恐怖」との感傷的交錯である。
 もちろん、私は絵画の方面では、全く智識のない素人であるから、専門的の立場から観照的に氏の芸術の優劣を批判することは出来ない。ただ私の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む所以は、勿論、
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