おき、夫々別々の分業観から専門に教育して来たのである。
 東洋と西洋と。この二つの異なる風習に於て我々は何れの長所を選ぶだらうか? 純理的に観察すれば、もちろん我々の国の風習は、遥か西洋のものに優つて居る。なぜなら一人の女について、矛盾した二つの情操(母性型と娼婦型と)を要求するのは、概ね多くの場合に於て、その両方を共に失ひ、家庭の母性としても完全でなく、コケツトとしても不満足であるところの、不幸な物足りない結果になるから。(西洋の多くの家庭が、いかに例外なく不幸であるか。また多くの既婚者等が、いかにこの点で嘆いてゐるかを見よ。)東洋の家庭は、一般に西洋に比し、ずっと遥かに幸福である。我々の妻たちは、昔から長い間、純粋に母性としてのみ、その家庭の中で生活して居た。良人たちは妻に対して、裁縫や、育児や、料理やなどの、純一に母性としての仕事を求めた。彼等がもし享楽や、宴会や、社交などを欲するならば、いつでも公《おほやけ》に芸者を呼び、別の種類の婦人に対して、別の種目の奉仕を求めた。そして結果は、両方の場合に於て、破綻なく満足であつたのである。
 しかしながら今日、東洋の事情は変化して来た。
前へ 次へ
全4ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
萩原 朔太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング