いた。一通り仕事がすんだ後《あと》で、彼女はすっかり[#「すっかり」に傍点]疲労を感じていた。事務室の時計を見ると、丁度四時五分を指《さ》しているので、彼女は卓上の書類を片づけ、そろそろ帰宅する準備を始めた。彼女は独身になってから、或る裏町の寂しい通りで、一間しかない部屋を借りていたので、余裕もなく装飾もない、ほんとに味気ない生活だった。いつでも彼女は、午後の帰宅の時間になると、その空漠《くうばく》とした部屋を考え、毎日毎日同じ位地に、変化もなく彼女の帰りを待ってる寝台や、窓の側に極《きま》りきってる古い書卓や、その上に載ってる退屈なインキ壺《つぼ》などを考え、言いようもなく味気なくなり、人生を憂鬱《ゆううつ》なものに感ずるのだった。
 この日もまた、そのいつも通りの帰宅の時間に、いつも通りの空虚な感情が襲って来た。だがそうした気分の底に、どこか或る一つの点で、いつもとちがった不思議の予感が、悪寒《おかん》のようにぞくぞくと感じられた。彼女の心に浮んだものは、いつものような退屈な部屋ではなく、それよりももっと[#「もっと」に傍点]悪い、厭《い》やな陰鬱なものが隠れている、不快な気味のわ
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