のやうに、夫々の區別した發音により、正しい平仄やアクセントをもつて發音されるやうになる。そしてこの時、初めて日本語に眞の「韻」といふものが出來、支那西洋の國語と同じく、我々の言葉にもまた眞の「韻律」が發生する。すくなくともこれによつて、日本語はずつと「音樂性」を豐富にし、純正詩歌の表現に適するやうになるであらう。詩人としての僕の立場が、ローマ字論者の主張に對して、常に多分の好意を持つのはこの爲である。
だがそれにもかかはらず、彼等のローマ字論者や假名文字論者に對して、尚且つ僕が滿點の贊意を表せず、時に大いに反感の敵意をさへ表するのは、彼等の「誤つた實利主義」が、往々にして僕等の美的藝術意識と衝突し、且つ却つて國語の純粹性を破壞するところの、反日本主義的のものに思はれるからである。一例をあげて見よう。
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花は咲き、鳥は鳴く。
僕は嫌ひだ。僕は好きだ。
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ローマ字論者や假名文字論者の大部分は、かうしたフレーズに於ける「は」を、HA と書かないで WA もしくは「わ」と書くのが常である。(ローマ字論者以外の人々の中にも、近頃かうした書き方をす
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