である。もし事情が許されるならば、女を抱き乍らシヨパンのアンプロンプチユを聴くことも自由である。さすがにこれでこそ、ラヂオは文明の利器である。この点だけでも、ラヂオがどれほど民衆に悦ばれてゐるか知れない。
受話機を用ゐるラヂオの不便は、放送の始まる時刻が、外部からわからないことである。もちろん新聞で時間は予告されてゐるが、絶えず時計に気をつけてゐるわけに行かないから、一寸油断してゐるまに時間がすぎて、聞かうと思ふ講演が終つて居たり、音楽が曲の中途から聴えたりする。これはどうも不都合である。何か旨い仕かけで、放送開始と共に合図のベルでも鳴るやうに出来ないだらうか? 電波の振動を利用して、ベルを自動的に鳴らすといふ工夫は、素人考へでは何だか容易に思はれるが、未だ発明されない所を見るとむづかしい困難な事情があるのだらう。
放送曲目についても所感があるが、紙数がないから止めにする。
底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社
1999(平成11)年2月25日発行
底本の親本:「萩原朔太郎全集 第八巻」筑摩書房
1976(昭和51)年7月
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
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