尤も大事なやり方で、今日の多量生産がこの式で行くのかどうか私は知らないが、これで行くのが尤も容易で都合の良いやり方である事を私は断言して置く。
 これは本題の翻訳製造会社とは関係のない事であるが、序《つい》で故一言して置かうと思ふ事がある、それは日本の文学を西洋に訳して嬉れしがつて居る人の事である。私は日本の文学の卓越して居る事に異議を唱へるものではない。外国人がそれに感心して、それを自国語に翻訳するのに異議を抱くものでもない。併し日本人自からが自分の文学を他国に訳して得々たるのは甚だ可笑しいと思ふ。可笑しい計りではない、或る意味に於ては吾が恥辱でもあると思ふ。その事自体が国辱ではないかとさへ思ふ、少くとも事理をわきまへた事ではないと思ふ。西洋人がさういふ翻訳をするのを助けて、それを完成さすなら結構な事であるが、自から進んでそれをやり、却つて西洋人の助をかりてそれを公《おほやけ》にするなんていふのは、少し馬鹿気た事と思ふ。かりに一人のイギリス人があつて、それが日本語に精通して居たといふので、シエイクスピアの翻訳を企てたらどんなものであらう。一寸《ちよつと》考へられない馬鹿気た話である。
前へ 次へ
全14ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
戸川 秋骨 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング