かりしてゐるといひながら、矢張り亭主がくると鬘《かつら》を直してやつたり、扮《つく》つた顏を見直してやつたりしてゐた。今度の給金の事でよく小山と紛《もつ》れあつてゐたのもこの早子だつた。みのるはこの早子が忘られなかつた。別れる時その内に遊びに行くと云つた早子は何日になつてもみのるの許へ來なかつた。
また、小さな長火鉢の前に向ひ合つて、お互の腹の底から二人の姿を眺め合ふやうな日に戻つてきた。
何時の間にか秋が深くなつて、椽の日射しの色が水つぽく褪めかけてきた。さうして秋の淋しさは人の前髮を吹く風にばかり籠めてゞもおく樣に谷中《やなか》の森はいつも隱者のやうな靜な體を備へてぢつとしてゐた。その森のおもてから目に見えぬほどづゝ何所《どこ》からともなく青い色が次第に剥げていつた。
二人の生計《くらし》は益々苦しくなつてゐた。寒くなつてからの着料なぞは兎ても算段の見込みが立たなかつた。家の持たてには二人の愛情が濃い色彩を塗つてゐた爲に貧弱な家財道具にもさして淋しさを感じなかつたものが、別々なところにその心を据えて自分々々をしつかりと見守つてゐる樣なこの頃になつては、寒さのとつつき[#「と
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