らみのるは再び清月へ通ひ出した。

 演劇の上でみのるの評判は惡るくはなかつた。誰もこの新らしい技藝を賞めた。けれども又、同時に誰が見てもみのるの容貌《きりやう》は舞臺の人となるだけの資格がないと云ふことも明らかに思はせた。
 藝術本位の劇評はみのるの技藝を、初めて女優の生命を開拓したものとまで賞めたものもあつた。けれども單に芝居といふ方から標準を取つて行つた劇評は、みのるを惡るく云つた。その態度が下品で矢塲女のやうだと誹つたものもあつた。みのるの容貌はほんとうに醜いものであつた。無理に拾へば眼だけであつた。外の點では唯|普通《なみ》の女としても見られないやうな容貌であつた。
 みのるは自分の容貌の醜いのをよく知つてゐた。それにも由らず舞臺へ上り度いといふのは唯藝術に對する熱のほかにはなかつた。そこから火のやうに燃えてくる力がみのるを大膽に導いて行くばかりであつた。けれども女優は――舞臺に立つ女はある程度まで美しくなければならなかつた。
 女は、そこに金剛のやうな藝術の力はあつても、花のやうな容貌がなければ魅力の均衡《つりあひ》は保たれる筈がなかつた。みのるの舞臺は、ある一面からは泥土
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