りだした。そうして戸を締めて内へ入つてくると舊《もと》のやうに火鉢の前に寢轉んでゐた義男の前に坐つて、涙と一所に突き上つてくる呼吸を唇を堅く結んで押へてゐる樣な表情をしてその顏を仰向かしてゐた。
「別れてしまはうぢやないか。」
 義男は然う云つて仰《あを》になつた。
 放縱な血を盛つた重いこの女の身體が、この先き何十年と云ふ長い間を自分の脆弱な腕の先きに纒繞《まつは》つて暮らすのかと思ふと、義男はたまらなかつた。結婚してからの一年近くのたど/\しい生活の中を女の眞實をもつた優しい言葉に彩られた事は一度もなかつたと思つた。振返つて見ると、その貧しい生活の中心には、いつもみだらな血で印を刻した女のだらけた笑ひ顏ばかりが色を鮮明《あざやか》にしてゐた。そうして柔かい肉をもつた女の身體がいつも自分の眼の前にある匂ひを含んでのそ/\してゐた。
「僕見たいなものにくつつい[#「くつつい」に傍点]てゐたつて、君は何うする事も出來やしないよ。僕には女房を養つてゆくだけの力はない。自分だけを養ふ力もないんだから。」
「知つてるわ。」
 みのるは、はつきりと斯う云つた。唇を開くとその眼から涙があふれた。

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