と云ふ人の助力のもとに極く藝術的に組織すると云ふ事を長く述べ立てた。さうして、女優は品行の正しい身性《みじやう》のあまり卑しくないものばかりを選むつもりだと云つた。滑かな大坂辯が暑い空氣の中に濁りを帶びて、眠たい調子をうね/\とひゞかしてゐた。
小山は話しをしてる間に、少しは分つた事を云ふ女だと云ふ樣な顏をして、時々みのるの言葉に調子を乘せて自分の話を進めて行つたりした。
「然う云ふ御熱心なら、一度よく酒井先生とも行田先生とも御相談をいたしまして、其の上で御返事を差上げると云ふことに。多分よろしからうとは思ひますが私一人の考へ通りにも參りませんによつて、あとから端書を差上げると云ふ事にいたしませう。」
みのるはそれで小山に別れを告げて外に出た。
誰もゐない家の軒に祭りの提燈がたつた一とつ暑い日蔭の外れに搖れてゐるのを見守りながら、みのるが漸《や》つと家へはいつた時は、もう庭の上にも半分ほど蔭ができてゐた。みのるは汗になつた着物も脱がずに開けひろげた座敷の眞中に坐つて何か考へてゐた。
夜るになつてみのるは義男と祭禮のある神社へ參詣に出かけた。墓塲を片側にした裏町には赤い提燈の灯がところ/″\に、表の賑やかさを少しちぎつて持つて來た樣な色を浮べてぼんやりと滲染《にじ》んでゐた。その明りの蔭に白い浴衣の女の姿が媚《なまめ》いた袖の靡《なび》きを見せて立つてゐた門《かど》もあつた。通りに出るといつも寂《さ》びれた塲末の町は夜店の灯と人混みの裾の縺《もつ》れの目眩しさとで新たな世界が動いてゐた。
二人は人に押返されながら神社の中へ入つて行つた。赤い椀を山に盛つた汁粉の出店の前から横に入ると、四十位の色の黒い女が腕|捲《まく》りをして大きな聲で人を呼んでる見世物小屋の前に出た。幕が垂れたり上つたりしてゐる前に立つて中を覗くと、肩衣《かたぎぬ》をつけた若い女が二人して淨瑠璃でも語つてゐる樣な風をしてゐる半身が見えた。その片々の女は目の覺めるほど美しい女であつた。薄暗い小屋の中から群集の方へ時々投げる眼に、瞳子《ひとみ》の流れるやうなたつぷりした表情が動いてゐた。艶もなく胡粉《ごふん》のやうに眞つ白に塗りつけたおしろいが、派出な友禪の着物の胸元に惡毒《あくど》い色彩を調和させて、猶一層この女を奇麗に見せてゐた。鼻が眞つ直ぐに高くて口許がぽつつりと小さかつた。
「まあ美《い》い女だわね。」
みのるは義男の袖を引つ張つた。
「あれが轆轤《ろくろ》つ首だらう。」
義男も笑ひながら覗いて見た。上の看板に、肩衣をつけた女の身體からによろ/\と拔け出した島田の女の首が人の群集を見下してゐる樣な繪がかいてあつた。義男はかうした下等な女藝人の白粉《おしろい》が好きであつた。その女の眼に義男は心を惹かれながら又歩きだした。
二人は三河島の方を見晴らした崖の掛茶屋の前に廻つて來た。葭簀《よしず》を張りまわした軒並びに鬼灯《ほゝづき》提燈が下がつて、サイダーの瓶の硝子や掻きかけの氷の上にその灯の色をうつしてゐた。そこで燒栗を買つた義男はそれを食べながら崖の下り口に立つて海のやうに闇い三河島の方を眺めてゐた。この祭禮の境内へ入つてくる人々が絶えず下の方から二人の立つてる前を過《よぎ》つて行つた。
「あなたに相談があるわ。」
みのるは云ひながら、境内の混雜を見捨てゝ崖から下へおりやうとした。
「何だい。」
「もう一度芝居をやらうと思ふの。」
「君が? へえゝ。」
二人は崖をおりて踏切りを越すと日暮里の方へ歩いて出た。みのるは歩きながら酒井や行田のやらうとしてゐる新劇團へ入るつもりの事を話した。行田は義男の知つてゐる人だつた。まだ外國から歸つて來たばかりの新らしい脚本家であつた。その人の手に作られた一と幕物の脚本を上塲する事に定《き》まつてゐるのだが、そのむづかしい女主人公を演る女優がなくつて困つてゐると、晝間小山の云つた事にみのるは望みを繋いでゐた。けれども其所までは話さずに舞臺に出ても好いか惡るいかを義男に聞いて見た。義男は默つて燒栗を食べながら歩いてゐた。
義男はまだ結婚しない前にみのるが女優になると云つて騷いだ事のあるのは知つてゐた。けれどもどんな技倆がこの女にあるのかは知らなかつた。その頃みのるがある劇團に入つて何か演《や》つた時に一向噂のなかつたところから考へても、舞臺の上の技巧はあんまり無さそうに思はれた。それにみのるの容貌《きりやう》では舞臺へ出ても引つ立つ筈がないと義男は思つてゐた。外國の美しい女優を見馴れた義男は、この平面な普通《なみ》よりも顏立ちの惡るいみのるが舞臺に立つといふ事だけでも恐しい無謀だとしきや思はれなかつた。
「今になつて何故そんな事を考へたんだね。」
義男は燒栗を噛みながら斯う聞いた。
「先《せん》から考へて
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