「ぢや別れやうぢやないか。今の内に別れてしまつた方がお互ひの爲だ。」
「私は私で働きます。その内に。」
二人は暫時《しばし》だまつた。
この家の前の共同墓地の中から、夜るになると人の生を呪ひ初める怨念のさゝやきが、雨を通して傳はつてくる樣な神經的のおびえがふと默つた二人の間に通つた。
「働くつて何をするんだい。君はもう駄目ぢやないか。君こそ僕よりも脉《みやく》がない。」
義男は斯う云つてから、みのると同じ時代に同じやうな文藝の仕事を初めた他の女たちを擧げて、そうして現在の藝術の世界を今も花やかに飾つてるその女たちを賞めた。
「君は出來ないのさ。僕が陳《ふる》ければ君だつて陳いんだから。」
みのるは默つて泣いてゐた。不仕合せに藝術の世界に生れ合はせてきた天分のない一人の男と女が、それにも見捨てられて、そうして窮迫した生活の底に疲れた心と心を脊中合せに凭れあつてゐる樣な自分たちを思ふと泣かずにはゐられなかつた。
「君は何を泣いてるんだ。」
「だつて悲しくなるぢやありませんか。復讐をするわ。あなたの爲に私は世間に復讐するわ。きつとだから。」
みのるは泣きながら斯う云つた。
「そんな事が當てになんぞなるもんか。働くなら今から働きたまへ。こんな意氣地のない良人の手で遊んでるのは第一君の估券が下る。君が出來るといふ自信があるなら、君の爲に働いた方がいゝ。」
「今は働けないわ、時機がこなけりや。そりや無理ぢやありませんか。」
みのるは涙に光つてる眼を上げて義男の顏を見た。義男の見定められない深い奧にいつかしら一人で突き入つて行く時があるのだと云ふ樣な氣勢《けはひ》が、その眼の底に現はれてゐるのを見て取ると、義男の胸には又反感が起つた。
「生意氣を云つたつて駄目だよ。何を云つたつて實際になつて現はれてこないぢやないか。それよりや別れてしまつた方がいゝ。」
義男は打《ぶ》ち切るやうに斯う云ふと奧の座敷へ自分で寐床をこしらへに立つて行つた。
みのるは男の動く樣子を此方《こつち》から默つて見てゐた。義男は片手で戸棚から夜着を引き下すと、それを斜《はす》つかけに摺《ず》り延ばして、着た儘の服裝《なり》でその中にもぐり込んで了つた。その冷めたそうな夜着の裾を眺めてゐたみのるは、自分たちが火の氣もないところで長い間云ひ爭つてゐた事にふと氣が付いて急に寒くなつたけれども、やつぱり
前へ
次へ
全42ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
田村 俊子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング