はあまりになさ過ぎる。人間は年が年じゅう、朝から晩まで、しかめ面《つら》して働いてばかりいられるものではない。たまにはほがらかに遊ばなければ仕事の能率も上りようがない。識者は思想問題や社会問題の由《よ》ってくるところを深く洞察すべきである。ああして一銭も要らずに誰れでもが飛び入りで踊って遊べるというのは何といいことであろう。こういう機会は大衆のためにしばしばつくってやらなければいけない。生きるためにはみんな苦労がある。ああして踊っている間はどんな苦労も忘れているだろう。

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乙《おつ》な桜の アラ ナントネ
粋をきかした 縁むすび
スッチョイコラ スッチョイコラ
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 私の耳の奧にはまだ歌が響いていた。何のせいか渾身《こんしん》に喜びが溢れてくる。私はどこの誰れとも知らない彼らみんなの幸福を心のしん底から祈らずにはいられない気持になった。接木《つぎき》をしたとかいう老桜よ、若返ってくれ。いつまでも美と愛とを標榜して人間の人間性の守護神でいてくれ。



底本:「九鬼周造随筆集」菅野昭正編、岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年9月1
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