撃につとめている時であった。ハイデルベルクでもベデッカーの案内記にはグランド・ホテルとなっている旅館もハイデルベルゲル・ホーフと改名していた。料理の献立を見てもソースのことをテウンケなどと書いてあった。テウンケはドイツ人にもわかりにくいということであった。テレフォーンのことはフェルンシュプレッヘルといい、ラジオのことはルンドフンクといった風であった。日本でも外来語の整理が全国民の関心事となるのは欧米との戦争というような犠牲を払った後でなければ期しがたいのであろうか。
 外来語の整理、統制ということには反対の意見もある。第一の反対理由は、我々の日常使用している言語の大部分は外来語であるから今更、外来語を不浄扱いして排斥しないでもよかろうというのである。これは一理あるようであるが、漢語や梵語《ぼんご》の輸入された時代の日本と現代の日本との文化の程度の相違ということを考慮に入れるならば決して一律には論じられないと思う。原始的状態にあった昔の日本が外来語を入れたからといって、現代の日本も外来語に対して無抵抗主義を取れという理窟は立たない。まして東洋と西洋ということには文化的に大きい相違がある。
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