味を西洋文化のうちに索めて、形式化的抽象によって何らか共通点を見出すことは決して不可能ではない。しかしながら、それは民族の存在様態としての文化存在の理解には適切な方法論的態度ではない。民族的、歴史的存在規定をもった現象を自由に変更して可能の領域においていわゆる「イデアチオン」を行《おこな》っても、それは単にその現象を包含する抽象的の類概念を得るに過ぎない。文化存在の理解の要諦《ようたい》は、事実としての具体性を害《そこな》うことなくありのままの生ける形態において把握することである。ベルクソンは、薔薇《ばら》の匂《におい》を嗅《か》いで過去を回想する場合に、薔薇の匂が与えられてそれによって過去のことが連想されるのではない。過去の回想を薔薇の匂のうちに嗅ぐのであるといっている。薔薇の匂という一定不変のもの、万人に共通な類概念的のものが現実として存するのではない。内容を異にした個々の匂があるのみである。そうして薔薇の匂という一般的なものと回想という特殊なものとの連合によって体験を説明するのは、多くの国語に共通なアルファベットの幾字かを並べて或る一定の国語の有する特殊な音《おん》を出そうとするようなものであるといっている{3}。「いき」の形式化的抽象を行って、西洋文化のうちに存する類似の現象との共通点を求めようとするのもその類《たぐい》である。およそ「いき」の現象の把握に関して方法論的考察をする場合に、我々はほかでもない universalia の問題に面接している。アンセルムスは、類《るい》概念を実在であると見る立場に基づいて、三位《さんみ》は畢竟《ひっきょう》一体の神であるという正統派の信仰を擁護した。それに対してロスケリヌスは、類概念を名目に過ぎずとする唯名論《ゆいめいろん》の立場から、父と子と聖霊の三位は三つの独立した神々であることを主張して、三神説の誹《そし》りを甘受した。我々は「いき」の理解に際して universalia の問題を唯名論の方向に解決する異端者たるの覚悟を要する。すなわち、「いき」を単に種《しゅ》概念として取扱って、それを包括する類概念の抽象的普遍を向観する「本質直観」を索《もと》めてはならない。意味体験としての「いき」の理解は、具体的な、事実的な、特殊な「存在|会得《えとく》」でなくてはならない。我々は「いき」の essentia を問う前に、まず「いき」の existentia を問うべきである。一言にして「えば「いき」の研究は「形相的」であってはならない。「解釈的」であるべきはずである{4}。
しからば、民族的具体の形で体験される意味としての「いき」はいかなる構造をもっているか。我々はまず意識現象[#「意識現象」に傍点]の名の下《もと》に成立する存在様態としての「いき」を会得し、ついで客観的表現[#「客観的表現」に傍点]を取った存在様態としての「いき」の理解に進まなければならぬ。前者を無視し、または前者と後者との考察の順序を顛倒《てんとう》するにおいては「いき」の把握は単に空《むな》しい意図に終るであろう。しかも、たまたま「いき」の闡明《せんめい》が試みられる場合には、おおむねこの誤謬《ごびゅう》に陥っている。まず客観的表現を研究の対象として、その範囲内における一般的特徴を索めるから、客観的表現に関する限りでさえも「いき」の民族的特殊性の把握に失敗する。また客観的表現の理解をもって直ちに意識現象の会得と見做《みな》すため、意識現象としての「いき」の説明が抽象的、形相的に流れて、歴史的、民族的に規定された存在様態を、具体的、解釈的に闡明することができないのである。我々はそれと反対に具体的な意識現象から出発しなければならぬ。
{1}Nietzsche, Also sprach Zarathustra, Teil III, Von alten und neuen Tafeln.
{2}Boutroux, La psychologie du mysticisme(La nature et l'esprit, 1926, p. 177).
{3}Bergson, 〔Essai sur les donne'es imme'diates de la conscience〕, 〔20e e'd〕., 1921, p. 124.
{4}「形相的」および「解釈的」の意義につき、また「本質」と「存在」との関係については左の諸書参照。
Husserl, 〔Ideen zu einer reinen Pha:nomenologie〕, 1913, I, S. 4, S. 12.
Heidegger, Sein und Zeit, 1927, I, S. 37 f.
Oskar Becker, Mathematische Existenz, 1927, S. 1.
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二「いき」の内包的構造
意識現象の形において意味として開示される「いき」の会得《えとく》の第一の課題として、我々はまず「いき」の意味内容を形成する徴表を内包的[#「内包的」に傍点]に識別してこの意味を判明[#「判明」に傍点]ならしめねばならない。ついで第二の課題として、類似の諸意味とこの意味との区別を外延的[#「外延的」に傍点]に明らかにしてこの意味に明晰[#「明晰」に傍点]を与えることを計らねばならない。かように「いき」の内包的構造と外延的構造とを均《ひと》しく闡明《せんめい》することによって、我々は意識現象としての「いき」の存在を完全に会得することができるのである。
まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態[#「媚態」に傍点]」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。「いきな話」といえば、異性との交渉に関する話を意味している。なお「いきな話」とか「いきな事」とかいううちには、その異性との交渉が尋常の交渉でないことを含んでいる。近松秋江《ちかまつしゅうこう》の『意気なこと』という短篇小説は「女を囲う」ことに関している。そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態《びたい》の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定《そてい》し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。いわゆる「上品」はこの二元性の欠乏を示している。そうしてこの二元的可能性は媚態の原本的存在規定であって、異性が完全なる合同を遂《と》げて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する。媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。永井荷風《ながいかふう》が『歓楽』のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情《なさけ》無いものはない」といっているのは、異性の双方において活躍していた媚態の自己消滅によって齎《もた》らされた「倦怠、絶望、嫌悪」の情を意味しているに相違ない。それ故に、二元的関係を持続せしむること、すなわち可能性を可能性として擁護することは、媚態の本領であり、したがって「歓楽」の要諦《ようたい》である。しかしながら、媚態の強度は異性間の距離の接近するに従って減少するものではない。距離の接近はかえって媚態の強度を増す。菊池寛《きくちかん》の『不壊《ふえ》の白珠《しらたま》』のうちで「媚態」という表題の下に次の描写がある。「片山《かたやま》氏は……玲子《れいこ》と間隔をあけるやうに、なるべく早足に歩かうとした。だが、玲子は、そのスラリと長い脚で……片山氏が、離れようとすればするほど寄り添つて、すれずれに歩いた」。媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。可能性としてフ媚態は、実に動的可能性として可能である。アキレウスは「そのスラリと長い脚で」無限に亀《かめ》に近迫するがよい。しかし、ヅェノンの逆説を成立せしめることを忘れてはならない。けだし、媚態とは、その完全なる形においては、異性間の二元的、動的可能性が可能性のままに絶対化されたものでなければならない。「継続された有限性」を継続する放浪者、「悪い無限性」を喜ぶ悪性者《あくしょうもの》、「無窮に」追跡して仆《たお》れないアキレウス、この種の人間だけが本当の媚態を知っているのである。そうして、かような媚態が「いき」の基調たる「色っぽさ」を規定している。
「いき」の第二の徴表は「意気」すなわち「意気地[#「意気地」に傍点]」である。意識現象としての存在様態である「いき」のうちには、江戸文化の道徳的理想が鮮やかに反映されている。江戸児《えどっこ》の気概が契機として含まれている。野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋《きっすい》」の江戸児は誇りとした。「江戸の花」には、命をも惜しまない町火消《まちびけし》、鳶者《とびのもの》は寒中でも白足袋《しろたび》はだし、法被《はっぴ》一枚の「男伊達《おとこだて》」を尚《とうと》んだ。「いき」には、「江戸の意気張り」「辰巳《たつみ》の侠骨《きょうこつ》」がなければならない。「いなせ」「いさみ」「伝法《でんぽう》」などに共通な犯すべからざる気品・気格がなければならない。「野暮は垣根の外がまへ、三千楼の色|競《くら》べ、意気地《いきじ》くらべや張競べ」というように、「いき」は媚態でありながらなお異性に対して一種の反抗を示す強味をもった意識である。「鉢巻の江戸紫」に「粋《いき》なゆかり」を象徴する助六《すけろく》は「若い者、間近く寄つてしやつつらを拝み奉れ、やい」といって喧嘩を売る助六であった。「映らふ色やくれなゐの薄花桜」と歌われた三浦屋の揚巻《あげまき》も髭《ひげ》の意休《いきゅう》に対して「慮外ながら揚巻で御座んす。暗がりで見ても助六さんとお前、取違へてよいものか」という思い切った気概を示した。「色と意気地を立てぬいて、気立《きだて》が粋《すい》で」とはこの事である。かくして高尾《たかお》も小紫《こむらさき》も出た。「いき」のうちには溌剌《はつらつ》として武士道の理想が生き[#「生き」に傍点]ている。「武士は食わねど高楊枝《たかようじ》」の心が、やがて江戸者の「宵越《よいごし》の銭《ぜに》を持たぬ」誇りとなり、更にまた「蹴《け》ころ」「不見転《みずてん》」を卑《いや》しむ凛乎《りんこ》たる意気となったのである。「傾城《けいせい》は金でかふものにあらず、意気地にかゆるものとこころへべし」とは廓《くるわ》の掟《おきて》であった。「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初《かりそめ》にも物の直段《ねだん》を知らず、泣言《なきごと》を言はず、まことに公家大名《くげだいみょう》の息女《そくじょ》の如し」とは江戸の太夫《たゆう》の讃美であった。「五丁町《ごちょうまち》の辱《はじ》なり、吉原《よしわら》の名折れなり」という動機の下《もとtに、吉原の遊女は「野暮な大尽《だいじん》などは幾度もはねつけ」たのである。「とんと落ちなば名は立たん、どこの女郎衆《じょろしゅ》の下紐《したひも》を結ぶの神の下心」によって女郎は心中立《しんじゅうだて》をしたのである。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。
「いき」の第三の徴表は「諦め[#「諦め」に傍点]」である。運命に対する知見に基づいて執着《しゅうじゃく》を離脱した無関心である。「いき」は垢抜《あかぬけ》がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒《しょうしゃ》たる心持でなくてはならぬ。この解脱《げだつ》は何によって生じたのであろうか。異性間の通路として設けられている特殊な社会の存在は、恋の実現に関して幻滅の悩みを経
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