オて偶然ではない。『昔々物語』によれば、昔は普通の女が縫箔《ぬいはく》の小袖《こそで》を着るに対して、遊女が縞物を着たという。天明《てんめい》に至って武家《ぶけ》に縞物着用が公許されている。そうして、文化文政《ぶんかぶんせい》の遊士通客は縞縮緬《しまちりめん》を最も好んだ。『春告鳥』は「主女に対する客人のいで立ち」を叙して「上着《うわぎ》は媚茶《こびちゃ》の……縞[#「縞」に傍点]の南部縮緬、羽織《はおり》は唐桟《とうざん》の……ごまがら縞[#「縞」に傍点]、……その外《ほか》持物懐中もの、これに準じて意気なることと、知りたまふべし」といっている。また『春色梅暦』では、丹次郎《たんじろう》を尋《たず》ねて来る米八《よねはち》の衣裳《いしょう》について「上田太織《うえだふとり》の鼠の棒縞[#「縞」に傍点]、黒の小柳に紫の山まゆ縞[#「縞」に傍点]の縮緬を鯨帯《くじらおび》とし」と書いてある。しからば、いかなる種類の縞が特に「いき」であろうか。
まず、横縞よりも縦縞の方が「いき」であるといえる。着物の縞柄《しまがら》としては宝暦《ほうれき》ごろまでは横縞よりなかった。縞のことを織筋《おり
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