、文化文政が細面《ほそおもて》の瀟洒《しょうしゃ》を善《よ》しとしたことは、それを証している。そうして、その理由が、姿全体の場合と同様の根拠に立っているのはいうまでもない。
顔面の表情が「いき」なるためには、眼と口と頬とに弛緩と緊張[#「眼と口と頬とに弛緩と緊張」に傍点]とを要する。これも全身の姿勢に軽微な平衡《へいこう》破却《はきゃく》が必要であったのと同じ理由から理解できる。眼[#「眼」に傍点]については、流眄《りゅうべん》が媚態の普通の表現である。流眄、すなわち流し目とは、瞳《ひとみ》の運動によって、媚《こび》を異性にむかって流し遣《や》ることである。その様態化としては、横目、上目《うわめ》、伏目《ふしめ》がある。側面に異性を置いて横目を送るのも媚であり、下を向いて上目ごしに正面の異性を見るのも媚である。伏目もまた異性に対して色気ある恥かしさを暗示する点で媚の手段に用いられる。これらのすべてに共通するところは、異性への運動を示すために、眼の平衡を破って常態を崩すことである。しかし、単に「色目」だけでは未《ま》だ「いき」ではない。「いき」であるためには、なお眼が過去の潤いを想起さ
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