フ代りに樸素《ぼくそ》な地味は、一種の「さび」を見せて「いき」のうちの「諦め」に通う可能性をもっている。地味が品質の検校を受けてしばしば上品の列に加わるのは、さびた心の奥床《おくゆか》しさによるのである。
 (三) 意気[#「意気」に傍点]―野暮[#「野暮」に傍点]は異性的特殊性の公共圏内における価値判断に基づいた対自性の区別である。もとよりその成立上の存在規定が異性的特殊性である限り、「いき」のうちには異性に対する措定《そてい》が言表されている。しかし、「いき」が野暮と一対《いっつい》の意味として強調している客観的内容は、対他性の強度または有無《うむ》ではなく、対自性に関する価値判断である。すなわち「いき」と野暮との対立にあっては、或る特殊な洗練の有無が断定されているのである。「いき」はさきにもいったように字通りの「意気」である。「気象」である。そうして「気象の精粋」の意味とともに、「世態人情に通暁すること」「異性的特殊社会のことに明るいこと」「垢抜《あかぬけ》していること」を意味してきている。野暮は「野夫《やぶ》」の音転であるという。すなわち通人粋客に対して、世態に通じない、人情を
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