気心でなければならぬ。「月の漏《も》るより闇がよい」というのは恋に迷った暗がりの心である。「月がよいとの言草《ことぐさ》」がすなわち恋人にとっては腹の立つ「粋な心」である。「粋な浮世を恋ゆえに野暮にくらすも心から」というときも、恋の現実的必然性と、「いき」の超越的可能性との対峙sたいじ》が明示されている。「粋と云《い》はれて浮いた同士《どし》」が「つひ岡惚《おかぼれ》の浮気から」いつしか恬淡洒脱《てんたんしゃだつ》の心を失って行った場合には「またいとしさが弥増《いやま》して、深く鳴子の野暮らしい」ことを託《かこ》たねばならない。「蓮《はす》の浮気は一寸《ちょいと》惚《ぼ》れ」という時は未だ「いき」の領域にいた。「野暮な事ぢやが比翼紋《ひよくもん》、離れぬ中《なか》」となった時には既に「いき」の境地を遠く去っている。そうして「意気なお方につり合ぬ、野暮なやの字の屋敷者」という皮肉な嘲笑を甘んじて受けなければならぬ。およそ「胸の煙は瓦焼く竈《かまど》にまさる」のは「粋な小梅《こうめ》の名にも似ぬ」のである。スタンダアルのいわゆる amour−passion の陶酔はまさしく「いき」からの背
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