おきて》であった。「金銀は卑しきものとて手にも触れず、仮初《かりそめ》にも物の直段《ねだん》を知らず、泣言《なきごと》を言はず、まことに公家大名《くげだいみょう》の息女《そくじょ》の如し」とは江戸の太夫《たゆう》の讃美であった。「五丁町《ごちょうまち》の辱《はじ》なり、吉原《よしわら》の名折れなり」という動機の下《もとtに、吉原の遊女は「野暮な大尽《だいじん》などは幾度もはねつけ」たのである。「とんと落ちなば名は立たん、どこの女郎衆《じょろしゅ》の下紐《したひも》を結ぶの神の下心」によって女郎は心中立《しんじゅうだて》をしたのである。理想主義の生んだ「意気地」によって媚態が霊化されていることが「いき」の特色である。
 「いき」の第三の徴表は「諦め[#「諦め」に傍点]」である。運命に対する知見に基づいて執着《しゅうじゃく》を離脱した無関心である。「いき」は垢抜《あかぬけ》がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒《しょうしゃ》たる心持でなくてはならぬ。この解脱《げだつ》は何によって生じたのであろうか。異性間の通路として設けられている特殊な社会の存在は、恋の実現に関して幻滅の悩みを経
前へ 次へ
全114ページ中20ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
九鬼 周造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング