@geschickt と同じに、諸事についての「巧妙」の意味をもっていた。その語をフランスが輸入して、次第に趣味についての 〔e'le'gant〕 に近接する意味に変えて用いるようになった。今度はこの新しい意味をもった chic として、すなわちフランス語としてドイツにも逆輸入された。しからば、この語の現在有する意味はいかなる内容をもっているかというに、決して「いき」ほど限定されたものではない。外延のなお一層広いものである。すなわち「いき」をも「上品」をも均《ひと》しく要素として包摂《ほうせつ》し、「野暮《やぼ》」「下品」などに対して、趣味の「繊巧」または「卓越」を表明している。次に coquet という語がある。この語は coq から来ていて、一羽の雄鶏《おんどり》が数羽の牝鶏《めんどり》に取巻かれていることを条件として展開する光景に関するものである。すなわち「媚態的《びたいてき》」を意味する。この語も英語にもドイツ語にもそのまま用いられている。ドイツでは十八世紀に coquetterie に対して 〔Fa:ngerei〕という語が案出されたが一般に通用するに至らなかった。この特に「フランス的」といわれる語は確かに「いき」の徴表《ちょうひょう》の一つを形成している。しかしなお、他の徴表の加わらざる限り「いき」の意味を生じては来ない。しかのみならず徴表結合の如何《いかん》によっては「下品」ともなり「甘く」もなる。カルメンがハバネラを歌いつつドン・ジョゼに媚《こ》びる態度は coquetterie には相違ないが決して「いき」ではない。なおまたフランスには 〔raffine'〕という語がある。 re−affiner すなわち「一層精細にする」という語から来ていて、「洗練」を意味する。英語にもドイツ語にも移って行っている。そうしてこの語は「いき」の徴表の一をなすものである。しかしながら「いき」の意味を成すにはなお重要な徴表を欠いている。かつまた或る徴表と結合する場合には「いき」と或る意味で対立している「渋味」となることもできる。要するに「いき」は欧洲語としては単に類似の語を有するのみで全然同価値の語は見出し得ない。したがって「いき」とは東洋文化の、否、大和《やまと》民族の特殊の存在様態の顕著な自己表明の一つであると考えて差支《さしつかえ》ない。
 もとより「いき」と類似の意
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