t は意味が過剰である。なお一例を挙げれば Sehnsucht という語はドイツ民族が産んだ言葉であって、ドイツ民族とは有機的関係をもっている。陰鬱《いんうつ》な気候風土や戦乱の下《もと》に悩んだ民族が明るい幸《さち》ある世界に憬《あこが》れる意識である。レモンの花咲く国に憧《あこが》れるのは単にミニョンの思郷の情のみではない。ドイツ国民全体の明るい南に対する悩ましい憧憬《しょうけい》である。「夢もなお及ばない遠い未来のかなた、彫刻家たちのかつて夢みたよりも更に熱い南のかなた、神々が踊りながら一切の衣裳を恥ずる彼地《かのち》へ{1}」の憧憬、ニイチェのいわゆる 〔flu:gelbrausende Sehnsucht〕 はドイツ国民の斉《ひと》しく懐くものである。そうしてこの悩みはやがてまた noumenon の世界の措定《そてい》として形而上的《けいじじょうてき》情調をも取って来るのである。英語の longing またはフランス語の langueur, soupir, 〔de'sir〕 などは Sehnsucht の色合の全体を写し得るものではない。ブートルーは「神秘説の心理」と題キる論文のうちで、神秘説に関して「その出発点は精神の定義しがたい一の状態で、ドイツ語の Sehnsucht がこの状態をかなり善《よ》く言い表わしている{2}」といっているが、すなわち彼はフランス語のうちに Sehnsucht の意味を表現する語のないことを認めている。
「いき」という日本語もこの種の民族的色彩の著しい語の一つである。いま仮りに同意義の語を欧洲語のうちに索めてみよう。まず英、独の両語でこれに類似するものは、ほとんど悉《ことごと》くフランス語の借用に基づいている。しからばフランス語のうちに「いき」に該当するものを見出すことができるであろうか。第一に問題となるのは chic という言葉である。この語は英語にもドイツ語にもそのまま借用されていて、日本ではしばしば「いき」と訳される。元来、この語の語源に関しては二説ある。一説によれば chicane の略で裁判沙汰を縺《もつ》れさせる「繊巧《せんこう》な詭計《きけい》」を心得ているというような意味がもとになっている。他説によれば chic の原形は schick である。すなわち schicken から来たドイツ語である。そうして
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