キじ》といったが、織筋は横を意味していた。「熨斗目《のしめ》」の腰に織り出してある横縞や、「取染《とりぞめ》」の横筋はいずれも宝暦前の趣味である。しかるに、宝暦、明和《めいわ》ごろから縦縞が流行し出して、文化文政には縦縞のみが専ら用いられるようになった。縦縞は文化文政の「いき」な趣味を表わしている。しからば何故《なにゆえ》、横縞よりも縦縞の方が「いき」であるのか。その理由の一つとしては、横縞よりも縦縞の方が平行線を平行線として容易に知覚させるということがあるであろう。両眼の位置は左右に、水平に並んでいるから、やはり左右に、水平に平行関係の基礎の存するもの、すなわち左右に並んで垂直に走る縦縞の方が容易に平行線として知覚される。平行関係の基礎が上下に、垂直に存して水平に走る横縞を、平行線として知覚するには両眼は多少の努力を要する。換言すれば、両眼の位置に基づいて、水平は一般に事物の離合関係を明瞭《めいりょう》に表わすものである。したがって、縦縞にあっては二線の乖離的《かいりてき》対立が明晰《めいせき》に意識され、横縞にあっては一線の継起的《けいきてき》連続が判明に意識されるのである。すなわち縦縞の方が二元性の把握《はあく》に適合した性質をもっている。なおまた、他の理由としては、重力の関係もあるに相違ない。横縞には重力に抗して静止する地層の重味がある。縦縞には重力とともに落下する小雨や「柳条」の軽味がある。またそれに関連して、横縞は左右に延びて場面の幅を広く太く見せ、縦縞は上下に走って場面を細長く見せる。要するに、横縞よりも縦縞の方が「いき」であるのは、平行線としての二元性が一層明瞭に表われているためと、軽巧精粋《けいこうせいすい》の味が一層多く出ているためであろう。もっとも、横縞が特に「いき」と感ぜられる場合もないことはない。しかしそれは種々特殊な制約の下《もと》においてである。第一に、そういう場合は、縦縞と相対的関係をもっている。すなわち、縦縞にくくりを附けているようなときに、横縞は特に「いき」と感ぜられる。例えば縦縞の着物に対して横縞の帯を用いるとか、下駄《げた》の木目《もくめ》または塗り方に縦縞が表われているとき緒《お》に横縞を用いるとかいうような場合である。第二にA場面全体の形状と相対的関係をもっている。例えば、すらりとした姿の女が横縞の着物を着たような場合、そ
前へ 次へ
全57ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
九鬼 周造 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング