うた》に「気だてが粋[#「粋」に傍点]で、なりふりまでも意気[#「意気」に傍点]で」とある。しかし、また同書巻之九に「意気[#「意気」に傍点]の情《なさけ》の源」とあるように、意識現象に「いき」の語を用いる場合も多いし、『春色辰巳園』巻之三に「姿も粋[#「粋」に傍点]な米八《よねはち》」といっているように、客観的表現に「粋」の語を使う場合も少なくない。要するに、「いき」と「粋」とは意味内容を同じくするものと見て差支ないであろう。また、たとえ一は特に意識現象に、他は専ら客観的表現に用いられると仮定しても、客観的表現とは意識現象の客観化にほかならず、したがって両者は結局その根柢においては同一意味内容をもっていることになる。
{3}Stendhal, De l'amour, livre I, chapitre I.
{4}Kellermann, Ein Spaziergang in Japan, 1924, S. 256.
[#改ページ]
三「いき」の外延的構造
前節において、我々は「いき」の包含する徴表を内包的に弁別して、「いき」の意味を判明ならしめたつもりである。我々はここに、「いき」と「いき」に関係を有する他の諸意味との区別を考察して、外延的に「いき」の意味を明晰《めいせき》ならしめねばならない。
「いき」に関係を有する主要な意味は「上品」、「派手《はで》」、「渋味」などである。これらはその成立上の存在規定に遡《さかのぼ》って区分の原理を索《もと》める場合に、おのずから二群に分かれる。「上品」や「派手」が存在様態として成立する公共圏は、「いき」や「渋味」が存在様態として成立する公共圏とは性質を異《こと》にしている。そうしてこの二つの公共圏のうち、「上品」および「派手」の属するものは人性的一般存在[#「人性的一般存在」に傍点]であり、「いき」および「渋味」の属するものは異性的特殊存在[#「異性的特殊存在」に傍点]であると断定してもおそらく誤りではなかろう。
これらの意味は大概みなその反対意味をもっている。「上品」は対立者として「下品」をもっている。「派手」は対立者に「地味」を有する。「いき」の対立者は「野暮」である。ただ、「渋味」だけは判然たる対立者をもっていない。普通には「渋味」と「派手」とを対立させて考えるが、「派手」は相手として「地味」
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