現象としての「いき」、理想性と非現実性とによって自己の存在を実現する媚態としての「いき」を定義して「垢抜して[#「垢抜して」に傍点](諦)、張のある[#「張のある」に傍点](意気地)、色っぽさ[#「色っぽさ」に傍点](媚態)」ということができないであろうか。

 {1}『春色辰巳園《しゅんしょくたつみのその》』巻之七に「さぞ意気な年増《としま》になるだらうと思ふと、今ツから楽しみだわ」という言葉がある。また『春色梅暦《しゅんしょくうめごよみ》』巻之二に「素顔の意気な中年増《ちゅうどしま》」ということもある。また同書巻之一に「意気な美しいおかみさんが居ると言ひましたから、それぢやア違ツたかと思つて、猶《なお》くはしく聞いたれば、おまはんの年よりおかみさんの方が、年うへのやうだといひますし云々」の言葉があるが、すなわち、ここでは「いき」と形容されている女は、男よりも年上である。一般に「いき」は知見を含むもので、したがって「年の功」を前提としている。「いき」の所有者は、「垢のぬけたる苦労人」でなければならない。
 {2}我々が問題を見ている地平にあっては、「いき」と「粋《すい》」とを同一の意味内容を有するものと考えても差支ないと思う。式亭三馬の『浮世風呂《うきよぶろ》』第二編巻之上で、染色に関して、江戸の女と上方《かみがた》の女との間に次の問答がある。江戸女「薄紫《うすむらさき》といふやうなあんばいで意気[#「意気」に傍点]だねえ」上方女「いつかう粋[#「粋」に傍点]ぢや。こちや江戸紫《えどむらさき》なら大好《だいすき》/\」。すなわち、「いき」と「粋」とはこの場合全然同意義である。染色の問答に続いて、三馬はこの二人の女に江戸語と上方語との巧みな使い別けをさせている。のみならず「すつぽん」と「まる」、「から」と「さかい」などのような、江戸語と上方語との相違について口論をさせている。「いき」と「粋」との相違は、同一内容に対する江戸語と上方語との相違であるらしい。したがって、両語の発達を時代的に規定することが出来るかもしれない(『元禄文学辞典』『近松語彙《ちかまつごい》』参照)。もっとも単に土地や時代の相違のみならず、意識現象には好んで「粋《すい》」の語を用い、客観的表現には主として「いき」の語を使うように考えられる場合もある。例えば『春色梅暦』巻之七に出ている流行唄《はやり
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