athematische Existenz, 1927, S. 1.
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     二「いき」の内包的構造

 意識現象の形において意味として開示される「いき」の会得《えとく》の第一の課題として、我々はまず「いき」の意味内容を形成する徴表を内包的[#「内包的」に傍点]に識別してこの意味を判明[#「判明」に傍点]ならしめねばならない。ついで第二の課題として、類似の諸意味とこの意味との区別を外延的[#「外延的」に傍点]に明らかにしてこの意味に明晰[#「明晰」に傍点]を与えることを計らねばならない。かように「いき」の内包的構造と外延的構造とを均《ひと》しく闡明《せんめい》することによって、我々は意識現象としての「いき」の存在を完全に会得することができるのである。
 まず内包的見地にあって、「いき」の第一の徴表は異性に対する「媚態[#「媚態」に傍点]」である。異性との関係が「いき」の原本的存在を形成していることは、「いきごと」が「いろごと」を意味するのでもわかる。「いきな話」といえば、異性との交渉に関する話を意味している。なお「いきな話」とか「いきな事」とかいううちには、その異性との交渉が尋常の交渉でないことを含んでいる。近松秋江《ちかまつしゅうこう》の『意気なこと』という短篇小説は「女を囲う」ことに関している。そうして異性間の尋常ならざる交渉は媚態《びたい》の皆無を前提としては成立を想像することができない。すなわち「いきな事」の必然的制約は何らかの意味の媚態である。しからば媚態とは何であるか。媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定《そてい》し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。そうして「いき」のうちに見られる「なまめかしさ」「つやっぽさ」「色気」などは、すべてこの二元的可能性を基礎とする緊張にほかならない。いわゆる「上品」はこの二元性の欠乏を示している。そうしてこの二元的可能性は媚態の原本的存在規定であって、異性が完全なる合同を遂《と》げて緊張性を失う場合には媚態はおのずから消滅する。媚態は異性の征服を仮想的目的とし、目的の実現とともに消滅の運命をもったものである。永井荷風《ながいかふう》が『歓楽』のうちで「得ようとして、得た後の女ほど情《なさけ》無いものはない」といっているのは、異性の双方において活躍していた媚態の自己消滅に
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