ュれなゐのはちす、始めて開けたるにやと見ゆ」という場合の「意気ざし」は、「息ざしもせず窺《うかが》へば」の「息差」から来たものに相違ない。また「行」も「生きる」ことと不離の関係をもっている。ambulo が sum の認識根拠であり得るかをデカルトも論じた。そうして、「意気方」および「心意気」の語形で、「いき」は明瞭に「行《いき》」と発音される。「意気方よし」とは「行きかた善し」にほかならない。また、「好いた殿御へ心意気」「お七さんへの心意気」のように、心意気は「……への心意気」の構造をもって、相手へ「行く」ことを語っている。さて、「息」は「意気ざし」の形で、「行」は「意気方」と「心意気」の形で、いずれも「生きる」ことの第二の意味を予料している。それは精神的[#「精神的」に傍点]に「生きる」ことである。「いき」の形相因たる「意気地」と「諦め」とは、この意味の「生きる」ことに根ざしている。そうして、「息」および「行」は、「意気」の地平に高められたときに、「生」の原本性に帰ったのである。換言すれば、「意気」が原本的意味において「生きる」ことである。
底本:『「いき」の構造』岩波文庫、岩波書店
1979(昭和54)年9月17日第1刷発行
1998(平成10)年12月4日第37刷発行
底本の親本:『「いき」の構造』岩波書店
1930(昭和5)年11月20日第1刷発行
入力:鈴木厚司
校正:鈴木厚司、かとうかおり
2000年5月29日公開
2001年6月27日アクセント分解対応版公開
2003年8月31日修正
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