て、來て見て呉れる人も矢張上方の人で、關東の人間は、自分の膝下をやられるのを平氣の平左衞門で居る、殆ど無能力――腦味噌が無い。
關東の眞中へ一大沙漠地を造られて平氣で居る病氣の人間が、殺されないやうにして呉れいと言ふ請願人を、政府が打ち殺すと云ふ擧動に出でたる以上は、最早自ら守るの外は無い。一本の兵器も持つて居ない人民に、サーベルを持つて切つて掛り、逃げる者を追ふと云ふに至つては如何である。是を亡國で無い、日本は天下泰平だと思つて居るのであるか。
古い頭は是はもういけない。古い頭はいけない、去りながら今日の若い方の側に、未だ取つて代つて國を背負つて立つ所の元氣の人も現はれて來ず、若い方も年寄もどつちも役に立たぬから、恰も二つの國が寄合つたやうなものである、日本人として互に通辯が無ければ判らぬと云ふ位不便である。年寄は譯がわからぬ。若い方は腰拔だ。其でも、腰拔でも譯がわからぬでも、日本が御互に眞面目であると言ふならば、眞面目であると云ふならば、ひよつとしたならば此國を持ち堪へることが出來るかも知れぬが、馬鹿なくせに生意氣で、惡るい方へばかり上手になつたと云ふに至りましては、何處までも
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