、官吏は口に言つてはならない、鑛毒と云ふ事は言つてはならないと云ふことにしてしまつた。其れが爲に無心な人民は十年鑛毒を知らずに居たが、二十三年に至て不毛の地が出來たについて、非常に驚ひて始めて騷ぎ出した。其は明治二十三年からでございます。是から先は段々諸君の御承知の通でございますから、敢て申上ぐる必要は無い。斯樣な歴史になつて居るので、各所の鑛毒の關係及び追々惡くなつた所を一と通御話申さぬと、唯だ苦情を申すやうに御聞取になると惡るうございます。
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 關東の中央に於て能登國の二倍程の鑛毒地――此點に就て諸君に關東の事情を御訴へ申す悲しひ事がある。此の關八州は人間が卑屈でございまする。今日は誠に殘念だが據ない。何故ならば、徳川の三百年穩和なる所の膝下で育ちましたので、家庭教育と云ふものが極く惡るくなつて居りまする爲に斯樣な次第である。
 鑛毒事件で關東の眞中へ大きな沙漠地を拵へるのは誰である。是は即ち京都で生れた上方の人である、古河市兵衞である。此の仕事を大きくさせたのは誰である。即ち薩長土肥である。又た今日、此の鑛毒地を可哀さうだと言ふ
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