五年から人民を水責兵糧攻にして困らして置いて、縣會に於て夜分十二時頃に、何を話したか祕密會で決めたことがある、それが買收の事實である、之を新聞に廣告して地方の新聞に出して仕舞つた、畑は三十兩田は二十八兩と云ふ値を付けた、墓場は一坪一兩、斯ふ云ふ値を付けて新聞に出しましたから最早賣買が止つて仕舞つた、直ぐ隣村の田地が二三百兩する所へ、斯樣な値段で廣告して仕舞つた、だから其以上に高く買ふものはなし、其値でも他村の人は決して田地を買ひませぬ、縣廳で買ふとなつた地面でありますから他村の者は買ひませぬ、殆ど賣買を禁じたるが如く、さうして金融を絶つて仕舞つた、それから一方は借金で攻め尚引續いて水で責めた、斯樣なことで衣食を絶つて金融の道を塞いで一方で此處に來い買つてやると云ふことを始めた、斯樣な譯でがすから人民は迚も其處に居られなくなつた、引續いて三十八年迄四年間食べる物もなし金融の道は塞がつた、仕方がないから殆ど之は逃出すので、逃出すに付いて何程なりとも錢を持つて逃げたい、田地を持つて遁げることも家屋敷を背負つて遁げることも出來ぬから、何程でも錢があれば御授け次第の錢を貰つて餘所へ往きたいと云ふ
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