を取調もせずに事業を彼の山に許すと云ふは、根本に於て間違つて居る。去らば是は惡意でしたものかと云ふに、是は不注意と學問が無いからで、學者があつても其を活用しなければ無學同樣である、農商務省に學者なしと斯うなつて來る。又古來斧斤を入れない所の深山を一萬町も濫伐させて、水源を涸すことをさせると云ふは、是は智慧が無いのではない惡意である。山林濫伐をすればどう云ふ惡い事が出來て來る、と云ふことは分かつて居る。是は不注意でなくして惡意である。また足尾銅山がどう云ふ働をして居るか其の働も見ないで、足尾銅山は年に二百萬圓以上の仕事をやるからして、是は國の財源で大切な山である、東洋一であると云ふ樣なことを言ふて居るが、其鑛業に依て生ずる害は、一方には山林を濫伐し、一方には三萬三千町歩以上の田地を毒害し、十萬の人間に毒水を飮ませ毒食をさせると云ふことをして置いて、國の本當の財源と云ふものが人民の方に在る事に氣が付かない。此の國の財源を粗末にして、一方の鑛業が如何なる惡事をするかと云ふことを問はずして、唯だ鑛山が國の財源である抔と言ふ。一と通りの頭でそんな議論が出るもので無い、當り前の腦髓を持つて居る官吏
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