ふ事もせで、物見遊山に歩くべき身ならず、御機嫌に違ひたらば夫れまでとして遊びの代りのお暇を願ひしに流石は日頃の勤めぶりもあり、一日すぎての次の日、早く行きて早く歸れと、さりとは氣まゝの仰せに有難うぞんじますと言ひしは覺えで、頓ては車の上に小石川はまだかまだかと鈍《もど》かしがりぬ。
 初音町《はつねちやう》といへば床しけれど、世をうぐひすの貧乏町ぞかし、正直安兵衞とて神は此頭に宿り給ふべき大藥罐の額ぎはぴか/\として、これを目印に田町より菊坂あたりへかけて、茄子《なすび》大根の御用をもつとめける、薄元手を折かへすなれば、折から直《ね》の安うて嵩《かさ》のある物より外は棹《さを》なき舟に乘合の胡瓜、苞《つと》に松茸の初物などは持たで、八百安が物は何時も帳面につけた樣なと笑はるれど、愛顧《ひいき》は有がたきもの、曲りなりにも親子三人の口をぬらして、三之助とて八歳《やつ》になるを五厘學校に通はするほどの義務《つとめ》もしけれど、世の秋つらし九月の末、俄かに風が身にしむといふ朝、神田に買出して荷を我が家までかつぎ入れると其まゝ、發熱につゞいて骨病みの出しやら、三月ごしの今日まで商ひは更なる事、
前へ 次へ
全23ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
樋口 一葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング