ふ事もせで、物見遊山に歩くべき身ならず、御機嫌に違ひたらば夫れまでとして遊びの代りのお暇を願ひしに流石は日頃の勤めぶりもあり、一日すぎての次の日、早く行きて早く歸れと、さりとは氣まゝの仰せに有難うぞんじますと言ひしは覺えで、頓ては車の上に小石川はまだかまだかと鈍《もど》かしがりぬ。
 初音町《はつねちやう》といへば床しけれど、世をうぐひすの貧乏町ぞかし、正直安兵衞とて神は此頭に宿り給ふべき大藥罐の額ぎはぴか/\として、これを目印に田町より菊坂あたりへかけて、茄子《なすび》大根の御用をもつとめける、薄元手を折かへすなれば、折から直《ね》の安うて嵩《かさ》のある物より外は棹《さを》なき舟に乘合の胡瓜、苞《つと》に松茸の初物などは持たで、八百安が物は何時も帳面につけた樣なと笑はるれど、愛顧《ひいき》は有がたきもの、曲りなりにも親子三人の口をぬらして、三之助とて八歳《やつ》になるを五厘學校に通はするほどの義務《つとめ》もしけれど、世の秋つらし九月の末、俄かに風が身にしむといふ朝、神田に買出して荷を我が家までかつぎ入れると其まゝ、發熱につゞいて骨病みの出しやら、三月ごしの今日まで商ひは更なる事、段々に喰べへらして天秤まで賣る仕義になれば、表店《おもてだな》の活計《くらし》たちがたく、月五十錢の裏屋に人目の恥を厭ふべき身ならず、又時節が有らばとて引越しも無慘や車に乘するは病人ばかり、片手に足らぬ荷をからげて、同じ町の隅へと潜みぬ。お峰は車より下りて※[#「研のつくり」、第3水準1−84−17]處《そこ》此處《こゝ》と尋ぬるうち、凧紙風船などを軒につるして、子供を集めたる駄菓子やの門に、もし三之助の交じりてかと覗けど、影も見えぬに落膽《がつかり》して思はず往來《ゆきき》を見れば、我が居るよりは向ひのがはを痩ぎすの子供が藥瓶もちて行く後姿、三之助よりは丈も高く餘り痩せたる子と思へど、樣子の似たるにつか/\と驅け寄りて顏をのぞけば、やあ姉さん、あれ三ちやんで有つたか、さても好い處でと伴なはれて行くに、酒やと芋やの奧深く、溝板がた/\と薄くらき裏に入れば、三之助は先へ驅けて、父《とゝ》さん、母《かゝ》さん、姉さんを連れて歸つたと門口より呼び立てぬ。
 何お峰が來たかと安兵衞が起上れば、女房《つま》は内職の仕立物に餘念なかりし手をやめて、まあ/\是れは珍らしいと手を取らぬばかりに喜ばれ、
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