寐姿《ねすがた》みゆ。膝《ひざ》の上には、「無情の君よ、我れを打捨て給ふか」と、殿の御声《おこゑ》ありあり聞えて、外面《そとも》には良人《をつと》や戻《もど》らん、更けたる月に霜さむし。
「たとへば我が良人《をつと》、今|此処《こゝ》に戻らせ給ふとも、我れは恥かしさに面《おもて》あかみて此膝《これ》なる文《ふみ》を取《とり》かくすべきか。恥づるは心の疚《や》ましければなり、何かは隠くさん。
殿、今もし此処《こゝ》におはしまして、例《れい》の辱《かたじ》けなき御詞《おことば》の数々、さては恨みに憎くみのそひて御声《おんこゑ》あらく、さては勿躰《もつたい》なき御命《おいのち》いまを限りとの給ふとも、我れはこの眼《め》の動かん物か、この胸の騒がんものか。動くは逢見《あひみ》たき欲よりなり、騒ぐは下に恋しければなり」
女は暫時《しばし》※[#「りっしんべん+空」、第4水準2−12−51]惚《うつとり》として、そのすゝけたる天井を見上げしが、蘭燈《らんとう》の火《ほ》かげ薄き光を遠く投げて、おぼろなる胸にてりかへすやうなるもうら淋《さび》しく、四隣《あたり》に物おと絶えたるに霜夜の犬の長吠《
前へ
次へ
全12ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
樋口 一葉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング