子が為《ため》の収入を多くせんと仰せられしなりき。火気《くわき》の満《みち》たる室《しつ》にて頸《くび》やいたからん、振《ふり》あぐる鎚《つち》に手首や痛からん」
 女は破《や》れ窓《まど》の障子を開《ひ》らきて外面《そとも》を見わたせば、向ひの軒《のき》ばに月のぼりて、此処《こゝ》にさし入る影はいと白く、霜や添ひ来《き》し身内もふるへて、寒気は肌《はだ》に針さすやうなるを、しばし何事も打《うち》わすれたる如《ごと》く眺《なが》め入《いり》て、ほと長くつく息、月かげに煙をゑがきぬ。
「桜町《さくらまち》の殿《との》は最早《もはや》寝処《しんじよ》に入《い》り給ひし頃《ころ》か。さらずは燈火《ともしび》のもとに書物をや開《ひら》き給ふ。然《さ》らずは机の上に紙を展《の》べて、静かに筆をや動かし給ふ。書かせ給ふは何ならん、何事かの御打合《おんうちあは》せを御朋友《ごほうゆう》の許《もと》へか、さらずば御母上《おんはゝうへ》に御機嫌《おきげん》うかゞひの御状《ごでう》か、さらずば御胸《おむね》にうかぶ妄想《ぼうさう》のすて所《どころ》、詩か歌か。さらずば、さらずば、我が方《かた》に賜はらんと
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