しとても、子は只《(ただ)》一人なるぞかしと、分別らしき異見を女子《(をなご)》ごゝろの浅ましき耳にさゝやかれて、良人《(をつと)》には心の残るべきやうもあらざりしかど、我が子の可愛きに引かれては、此子の親なる人をかゝる中に捨てゝ、我が立さらん後はと、流石《(さすが)》に血をはく思ひもありしが、親々の意見は漸《(やうや)》く義理の様《(やう)》にからまりて、弱き心のをしきらんに難く、霜ばしら今たふれぬべきを知りつゝ、家も此子も、此子の親をも捨てゝ出でぬ。
父は一人ゆきたることもあり、此子を抱きて行きたることもあり、これを突きつけて戻りたることもあり、我れは此《(この)》まゝ朽《(くち)》はてぬとも、せめては此子を世に出したきに、いかにもして今|一《(ひと)》たび戻りくれよ、長くとには非ず今五年がほど、これに物ごゝろのつきぬべきまでと、頼みつすかしつ歎《(な)》げきけるが、さりとも子故に闇なるは母親の常ぞ、やがては恋しさに堪えがたく、我れと佗《(わび)》して帰りぬべきものをと覚束《(おぼつか)》なきを頼みて、十五日は如何に、二十日は如何に、今日こそは明日こそはと待つ日|空《(むな)》し
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