、今の母は父親が上役なりし人の隱し妻とやらお妾とやら、種々《さま/″\》曰くのつきし難物のよしなれども、持ねばならぬ義理ありて引うけしにや、それとも父が好みて申受しか、その邊たしかならねど勢力おさ/\女房天下と申やうな景色なれば、まゝ子たる身のおぬひが此瀬に立ちて泣くは道理なり、もの言へば睨まれ、笑へば怒られ、氣を利かせれば小ざかしと云ひ、ひかえ目にあれば鈍な子と叱かられる、二葉の新芽に雪霜のふりかゝりて、これでも延びるかと押へるやうな仕方に、堪へて眞直ぐに延びたつ事人間わざには叶ふまじ、泣いて泣いて泣き盡くして、訴へたいにも父の心は鐵《かね》のやうに冷えて、ぬる湯一杯たまはらん情もなきに、まして他人の誰れにか慨《かこ》つべき、月の十日に母さまが御墓まゐりを谷中《やなか》の寺に樂しみて、しきみ線香夫々の供へ物もまだ終らぬに、母さま母さま私を引取つて下されと石塔に抱きつきて遠慮なき熱涙、苔のしたにて聞かば石もゆるぐべし、井戸がはに手を掛て水をのぞきし事三四度に及びしが、つく/″\思へば無情《つれなし》とても父樣は眞實《まこと》のなるに、我れはかなく成りて宜からぬ名を人の耳に傳へれば、殘れ
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