下

 我れのみ一人のぼせて耳鳴りやすべき桂次が熱ははげしけれども、おぬひと言ふもの木にて作られたるやうの人なれば、まづは上杉の家にやかましき沙汰もおこらず、大藤村にお作が夢ものどかなるべし、四月の十五日歸國に極まりて土産物など折柄日清の戰爭畫、大勝利の袋もの、ぱちん羽織の紐、白粉かんざし櫻香の油、縁類廣ければとり/″\に香水、石鹸《しやぼん》の氣取りたるも買ふめり、おぬひは桂次が未來の妻にと贈りものゝ中へ薄藤色の襦袢の襟に白ぬきの牡丹花の形《かた》あるをやりけるに、これを眺めし時の桂次が顏、氣の毒らしかりしと後にて下女の竹が申しき。
 桂次がもとへ送りこしたる寫眞はあれども、祕しがくしに取納めて人には見せぬか、夫れとも人しらぬ火鉢の灰になり終りしか、桂次ならぬもの知るによしなけれど、さる頃はがきにて處用を申こしたる文面は男の通りにて名書きも六藏の分なりしかど、手跡大分あがりて見よげに成りしと父親の自まんより、娘に書かせたる事論なしとこゝの内儀が人の惡き目にて睨みぬ、手跡によりて人の顏つきを思ひやるは、名を聞いて人の善惡を判斷するやうなもの、當代の能書に業平さまならぬも
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