人だとて上手だとて私等が家のやうに生れついたは何にもなる事は出來ないので御座んせう、我身の上にも知れまするとて物思はしき風情、お前は出世を望むなと突然《だしぬけ》に朝之助に言はれて、ゑツと驚きし樣子に見えしが、私等が身にて望んだ處が味噌こしが落、何の玉の輿までは思ひがけませぬといふ、嘘をいふは人に依る始めから何も見知つて居るに隱すは野暮の沙汰ではないか、思ひ切つてやれ/\とあるに、あれ其やうなけしかけ詞はよして下され、何うで此樣な身でござんするにと打しをれて又もの言はず。
今宵もいたく更けぬ、下坐敷の人はいつか歸りて表の雨戸をたてると言ふに、朝之助おどろきて歸り支度するを、お力は何うでも泊らするといふ、いつしか下駄をも藏《かく》させたれば、足を取られて幽靈ならぬ身の戸のすき間より出る事もなるまじとて今宵は此處に泊る事となりぬ、雨戸を鎖す音一しきり賑はしく、後には透きもる燈火のかげも消えて、唯軒下を行かよふ夜行の巡査の靴音のみ高かりき。
七
思ひ出したとて今更に何うなる物ぞ、忘れて仕舞へ諦めて仕舞へと思案は極めながら、去年の盆には揃ひの浴衣をこしらへて二人一處に藏前
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