まされて源さんの事が思はれる、夫は今の身分に落ぶれては根つから宜いお客ではないけれども思ひ合ふたからには仕方がない、年が違をが子があろがさ、ねへ左樣ではないか、お内儀さんがあるといつて別れられる物かね、構ふ事はない呼出してお遣り、私しのなぞといつたら野郎が根から心替りがして顏を見てさへ逃げ出すのだから仕方がない、どうで諦め物で別口へかゝるのだがお前のは其れとは違ふ、了簡一つでは今のお内儀さんに三下《みくだ》り半をも遣られるのだけれど、お前は氣位が高いから源さんと一處《ひとつ》にならうとは思ふまい、夫だもの猶の事呼ぶ分に子細があるものか、手紙をお書き今に三河やの御用聞きが來るだろうから彼の子僧に使ひやさんを爲せるが宜い、何の人お孃樣ではあるまいし御遠慮|計《ばかり》申《まをし》てなる物かな、お前は思ひ切りが宜すぎるからいけない兎も角手紙をやつて御覽、源さんも可愛さうだわなと言ひながらお力を見れば烟管《きせる》掃除に餘念のなきか俯向たるまゝ物いはず。
やがて雁首を奇麗に拭いて一服すつてポンとはたき、又すいつけてお高に渡しながら氣をつけてお呉れ店先で言はれると人聞きが惡いではないか、菊の井のお力は土方の手傳ひを情夫《まぶ》に持つなどゝ考違《かんちが》へをされてもならない、夫は昔しの夢がたりさ、何の今は忘れて仕舞て源とも七とも思ひ出されぬ、もう其話しは止め/\といひながら立あがる時表を通る兵兒帶の一むれ、これ石川さん村岡さんお力の店をお忘れなされたかと呼べば、いや相變らず豪傑の聲かゝり、素通りもなるまいとてずつと這入るに、忽ち廊下にばた/\といふ足おと、姉さんお銚子と聲をかければ、お肴は何をと答ふ、三味《さみ》の音《ね》景氣よく聞えて亂舞の足音これよりぞ聞え初《そめ》ぬ。
二
さる雨の日のつれ/″\に表を通る山高帽子の三十男、あれなりと捉《と》らずんば此降りに客の足とまるまじとお力かけ出して袂にすがり、何うでも遣りませぬと駄々をこねれば、容貌よき身の一徳、例になき子細らしきお客を呼入れて二階の六疊に三味線なしのしめやかなる物語、年を問はれて名を問はれて其次は親もとの調べ、士族かといへば夫れは言はれませぬといふ、平民かと問へば何うござんしようかと答ふ、そんなら華族と笑ひながら聞くに、まあ左樣おもふて居て下され、お華族の姫樣《ひいさま》が手づからのお酌、か
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