ひますとて潜然《さめ/″\》とするに、珍らしい事陰氣のはなしを聞かせられる、慰めたいにも本末《もとすゑ》をしらぬから方がつかぬ、夢に見てくれるほど實があらば奧樣にしてくれろ位いひそうな物だに根つからお聲がかりも無いは何ういふ物だ、古風に出るが袖ふり合ふもさ、こんな商賣を嫌だと思ふなら遠慮なく打明けばなしを爲るが宜い、僕は又お前のやうな氣では寧《いつそ》氣樂だとかいふ考へで浮いて渡る事かと思つたに、夫れでは何か理屈があつて止むを得ずといふ次第か、苦しからずは承りたい物だといふに、貴君には聞いて頂かうと此間から思ひました、だけれども今夜はいけませぬ、何故/\、何故でもいけませぬ、私が我まゝ故、申まいと思ふ時は何うしても嫌やでござんすとて、ついと立つて椽がはへ出るに、雲なき空の月かげ涼しく、見おろす町にからころ[#「からころ」に傍点]と駒下駄の音さして行かふ人のかげ分明《あきらか》なり、結城さんと呼ぶに、何だとて傍へゆけば、まあ此處へお座りなさいと手を取りて、あの水菓子屋で桃を買ふ子がござんしよ、可愛らしき四つ計の、彼子《あれ》が先刻の人のでござんす、あの小さな子心にもよく/\憎くいと思ふと見えて私の事をば鬼々といひまする、まあ其樣な惡者に見えまするかとて、空を見あげてホツと息をつくさま、堪へかねたる樣子は五音《ごいん》の調子にあらはれぬ。

       四

 同じ新開の町はづれに八百屋と髮結床が庇合《ひあはい》のやうな細露路、雨が降る日は傘もさゝれぬ窮屈さに、足もととては處々に溝板の落し穴あやふげなるを中にして、兩側に立てたる棟割長屋、突當りの芥溜《ごみため》わきに九尺二間の上り框《かまち》朽ちて、雨戸はいつも不用心のたてつけ、流石に一方口にはあらで山の手の仕合は三尺斗の椽の先に草ぼう/\の空地面それが端を少し圍つて青紫蘇《あをじそ》、ゑぞ菊、隱元豆の蔓などを竹のあら垣に搦《から》ませたるがお力が處縁の源七が家なり、女房はお初といひて二十八か九にもなるべし、貧にやつれたれば七つも年の多く見えて、お齒黒はまだらに生へ次第の眉毛みるかげもなく、洗ひざらしの鳴海《なるみ》の浴衣を前と後を切りかへて膝のあたりは目立ぬやうに小針のつぎ當、狹帶《せまおび》きりゝと締めて蝉表の内職、盆前よりかけて暑さの時分をこれが時よと大汗になりての勉強せはしなく、揃へたる籘を天井から釣下げて、
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