たけくらべ
樋口一葉

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)燈火《ともしび》うつる

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)霜月|酉《とり》の日

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「髟/兵」、第3水準1−94−27]櫛《びんぐし》

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)ちやら/\忙がしげに
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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       一

 廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火《ともしび》うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來《ゆきゝ》にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前《だいおんじまへ》と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き、三嶋神社《みしまさま》の角をまがりてより是れぞと見ゆる大厦《いへ》もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ處とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形《なり》に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田樂《でんがく》みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日に仕舞ふ手當こと/″\しく、一家内これにかゝりて夫れは何ぞと問ふに、知らずや霜月|酉《とり》の日例の神社に欲深樣のかつぎ給ふ是れぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかゝりて、一年うち通しの夫れは誠の商賣人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着《はるぎ》の支度もこれをば當てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等萬倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、此あたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者《くるわもの》にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理|情死《しんぢう》のしそこね、恨みはかゝる身のはて危ふく、すはと言はゞ命がけの勤めに遊山《ゆさん》らしく見ゆるもをかし、娘は大籬《おほまがき》の下新造《したしんぞ》とやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提燈《かんばん》さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して
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